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摩周湖ファイル vol.9
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武四郎洞窟(ホロ)
みなさんは松浦武四郎という人物を、そして、摩周湖の湖岸にはこの松浦武四郎が一夜を過ごしたと言われる洞窟があるのを知っていますか。文政元年(1818年)に伊勢国(現在の三重県)に生まれた武四郎は、全国を股にかけ各地の名所・旧跡を訪ね歩いた探検家で、その足跡は、当時異国とされていた蝦夷地(北海道)にまで及びました。
日本北端の領土である蝦夷地の豊富な資源に着目し、他国からの防衛強化の必要性を考えた幕府は、そんな武四郎を蝦夷地を詳しく知る第一人者として注目。安政2年(1855年)には蝦夷地調査の特命を与えたのでした。
そして、翌年3月に渡道した武四郎は、北海道開発の第一歩とも言える調査を開始。約3年にわたり先人未踏の内陸を踏査し、詳細な地図(山川地理取調図)を作ったばかりでなく、その調査をもとに地誌(東西蝦夷山川地理取調日誌)をまとめ上げました。
この日誌は地方別8冊からなり、そのうちの道東編にあたる「久摺日誌」には、安政5年(1858年)4月4日から7日にかけて摩周湖周辺を訪れた際の様子が記載されています。6日に摩周岳東側の湖岸に降り立ち泊まった洞窟を、武四郎は「大きさ5丈(1丈は約3.03m)に奥行きも5丈の大岩窟。その中は2つに割れて穴が2つになっている」と表現しています。この洞窟を当時のアイヌの人々は「神の宿るいわや」として祭り、猟の際の休憩場所などに利用していたようです。
平成14年広報てしかが7月号掲載

