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Hさんのてしかが移住記

Hさんのプロフィール

移住前の居住地
北海道旭川市
移住年
昭和63年

移住記

掲載年月日:平成19年3月16日

 1988年(昭和62年)3月末、私たち夫婦は早朝の列車に乗り込んだ。

 行き先は釧路管内弟子屈町。

「いよいよ旭川ともお別れね。」

 住み慣れた旭川の街並みが、後ろへ後ろへと遠ざかって行く。ほろっと涙がこぼれた。

「あの子が待っているよ。」車窓に顔を向けたまま夫がぽつりと言った。そうだこれからが忙しくなる。もう荷物は、昨日のうちに向こうに着いている筈だ。私たちの終の棲家となる弟子屈町の家に。

 (よく思い切ったなあ)

 旭川は結婚以来、40年近く過ごした街である。最初、周りは広々とした芋畑だった。地主が一部、住宅地として売りに出したのである。二人の子育ても気楽に過ごした。

 しかし旭川駅から1キロという利便性から間もなく家が建てこんできた。高いマンションやアパートが何棟も建った。狭苦しくなった町内は、冬の雪投げ場に一苦労である。旭川の積雪量は、半端ではない。一軒去り、二軒去り、人々は郊外の安くて広い土地を求めて去って行く。慣れ親しんだ顔は、だんだん少なくなり、そのかわりマンションに住む若者が増えた。「淋しくなるな。」二人の子供もとうに家を離れている。

 (いずれ、どちらか一人は戻ってくるだろう)と思って建てた家も老人二人には広すぎた。

「ねえ、弟子屈に来ない?お風呂は温泉だし雪も旭川より少ないよ。私はもう、ここから動く気はないの。」

 長女は前年弟子屈に家を建てた。職場も管内に落ち着きそうだ。あちこち転勤で回ったが、自然いっぱいのこの温泉郷が非常に気に入っている。

「庭は広いし、お花や野菜作りをたのしんだら?温泉のお湯も豊富だしね。」

「考えてみようかな。」

 風呂好きの夫は心を動かされたようだ。

「この家どうするの?」

「借家にすればいいさ。」

「そうねえ。」

 何日か考えて、やはり娘のいる弟子屈に行くことに決めた。

 弟子屈に落ち着いて、引越しの荷物が片付いた頃、庭中がふきのとうの花盛りになった。トラックに二十何台かの黒土を運んでもらい旭川から運んだ、櫟、桜、つつじ、シャクナゲ、それぞれが所定の位置に落ち着いた。西側の一角にかわいいビニールハウスも建ててもらった。

 弟子屈は冷涼な土地柄なのでメロンなどは路地植えでは育たない。その分、葉物野菜や豆類は農薬なしで丈夫に育つ。これは第一に嬉しい発見であった。旭川では農薬を控えたばかりに、二畝のサヤエンドウを一晩でヨトウ虫に食べ尽くされた苦い経験である。そうじて冷涼なるが故に農薬は全く使わないか使っても極少量で済む。

 町の中央を流れる釧路川に羽を休めていた白鳥が北に向かって飛び立つ頃、弟子屈も雪解けが進んで日増しに桜の蕾がふくらんでくる。

 当初7、8戸だった住宅が5倍以上に増えて町内は賑やかになった。

 戸数は増えたが戸当たりの敷地面積が広いから全体にゆったりしている。人情もゆったりとして都市部にはないおおらかさがある。

 この地に越してきて以来あまりカゼを引かなくなった。温泉の蒸気が気管支を潤してくれるのか、豊かな木々が排気ガスをろ過してくれるのだろうか。

 ポットに撒いたトマトや花苗が日増しに伸びてきた。連休明けには移植できるかな。

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