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PN「北の大地から」さんのてしかが移住記

PN「北の大地から」さんのプロフィール

移住前の居住地
東京都
移住年
平成14年

移住記

掲載年月日:平成19年3月16日

(弟子屈町へ移住するまでの経緯と移住を決めた理由)

 定年退職を後2年足らずに控えた5年前、愛犬の黒ラブ(ラブラドール・リトリーバー)と一緒に住む場所を探し始めた。場所は広く道東から道南までを視野に入れた。4年前の夏に現在の寓居を購入、セカンド・ハウスとして、夏冬春には休みを取って、数日ここで過ごし、2年前の春、定年退職を機に東京から当地に移った。女房は両親の介護で東京を離れられず、上の娘は介護士として働き、下の娘は所帯を持ち、小生のみが両親を既にあの世に送って自由の身、ということで、単身での移住である。北海道への移住を思い立ったのも、自然の中でひたすら犬を遊ばせてやりたいと思ったこと、これまで人様のためにずいぶん働いたので、リタイア後は自分のために生きたいと思ったこと、登山と釣りと狩猟、それに原稿書きが出来ればいいと考えたことからである。降雪量の比較的少ないこと、露天風呂に入れること、2,000坪の土地に程度の良い古家付きの格安物件であったことが決め手となった。

 お譲り戴いた森の中の寓居は、釧網線の摩周駅(旧弟子屈駅)から7kmほど離れた距離にある。900haあるところから9○○草原(キュウマルマルソウゲン)と言われる広大な町有牧場の山裾が目の前に広がり、その左奥にカムイ・ヌプリ(摩周岳、857m)、晴れると、さらに斜里岳(1,547m)が見える。とても静かで、牧草を刈るコンバインの音、道道(北海道の道路)を走る車のエンジン音、鳥や犬や蝉の鳴き声、風の音が聞こえるばかりだ。四季ははっきりしている。今冬の戸外の最低気温は氷点下21℃、厳しい冬を乗り切って迎える春の喜びは一入(ヒトシオ)のものがある。夏は、東京の高温多湿の猛暑にひきかえ、クーラーも扇風機も知らずの生活で、文字通りの別天地、まさしく夢のようである。

(弟子屈町に住んでみて良かったところ・悪かったところ)

 移住半年後の10月、地所前の町道でトラクターに轢かれて、まだこれからという3歳の若さで愛犬を死なせてしまった。たいへん悲しく寂しい思いをした。2匹目の犬は、群馬県伊勢崎市の同じブリーダーから分けてもらった同じ血筋を引く弟犬である。
 インターネットは、ISDNのサービス区域外、割高のダイヤル・アップとなって、いまだに引き渋っている。水道管やウォシュレットの凍結による破裂もあった。リンゴやサクランボの果樹は育ちにくいらしい。
 車が足代わりの当地で、ガソリンの高騰は痛い。灯油も同じ。おいしいフランスパンと豆腐、摩周のブランド名を冠したチーズと牛乳が欲しい。野菜や魚が高い。農家や漁師からの直販を含めて、地場産のものを安く供給する仕組みは出来ないか。すぐそばの鐺別川に注ぐ最栄利別川は護岸工事が施されて、魚1匹いない。魚が住まない川はあり得ない筈、魚道は整備されたが、稚魚の放流もあってしかるべきだ。空き缶やペットボトルのポイ捨ては言うに及ばず、地所沿いの林道を少し奥に入ると、なんとそこには自家用車2台が不法に投棄されている。まさしくいまの日本社会の縮図を見る思いがする。町議選の選挙公報が発行されないのにはちょっとなじめない。‥‥と言えば切りがない。

(移住後の今の生活)

 40坪強の畑に14畝と野菜ハウスの4畝を耕し、段ボール100箱分の蔵書を運び込んでの「晴耕雨読」と原稿書き、海や渓流での釣り、犬を連れての登山、冬場の狩猟、春先の山菜採りと洒落ている。とりわけ地所内で採れるフキノトウ、タラの芽、コゴミ、ウドは格別で、フキミソ、テンプラ、ゴマ和え、酢ミソ和えにして食し、近くで採れるアイヌネギ(ギョウジャニンニク)はしょうゆ漬けにして、春の香りと味を楽しむ。地所内のヤマナシやハマナスは果実酒にした。東京から谷川岳や巻機山(マキハタヤマ)へ出掛けていたことを思えば、ちょっと信じられないくらいである。そして、朝4時前には徒歩5分の場所にある共同の露天風呂につかる。お湯は41.2℃の熱くもぬるくもなくの適温、ヌルヌルのお湯で、肌がスベスベする。奥春別自治会にもお入れ戴き、北海道猟友会弟子屈支部に所属して、土地の人の温かみにも接している。しかし、体力がなくなれば、家族の許(モト)に戻るしかないかとの漠然とした不安も抱かないではない。

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