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本町農業の歴史に援農あり

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6月25日(土)町内の6・25会が主催して開催された「援農の碑記念式典」に出席しました。

若い方は「援農」と聞いてもピンとこないかと思います。援農とは、戦時中の食糧増産のため、全国各地の10代の青年達が農業生産現場に派遣されて、農家を手伝う取り組みです。記録に残るところでは、本町には昭和20年5月に岩手県立久慈市農林学校の当時14~15歳の55名の皆さんが北海道援農勤労報国隊員として派遣され、5か月間屈斜路や札友内、鐺別地区など20数戸の農家に入り、馬鈴薯作りや牧草刈り麦刈りなどの作業を行いました。当時はまだ農業機械も道路網も今のように発達しておらず、その苦労は大変だったと思います。

本町に来た当時の学生が還暦を迎えるのを機に、町内の引受農家の方との交流が再開され、平成元年6月25日に摩周観光文化センターの敷地内に建立されたのが「援農の碑」です。毎年6月25日には6・25会主催の式典が行われており、本町の農業が発展する礎であったと考え、摩周湖農協の川口組合長と一緒に毎年参列させていただいています。

本年は、建立から28回目の式典となり、当時援農で弟子屈に来た2名の方が岩手県から車とフェリーを乗り継いで式典に駆け付けてくれました。昭和4年生まれの同級生も常時連絡が取れるのは3人だけになったとのことですが、多感な青年期を過ごした弟子屈町の思い出を楽しそうに語られておりました。お二人はもうこれで最後かもしれないとの思いでご参加いただきました。しかし、86歳とはいえまだまだお元気のご様子で、2年後の第30回や40回50回と節目の時にはぜひまた再会したいと約束して別れました。久慈市付近はNHKの「あまちゃん」でも有名になった場所です。

摩周観光文化センターの正面玄関を見て右手の奥に碑があります。弟子屈町の農業と開拓の記録の1ページとして、機会があればぜひお立ち寄りください。 

町長日記

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