Oさんの「てしかが移住記」(1)

Oさんのプロフィール

移住前の居住地

兵庫県

移住年

平成28年

移住記

私は文章を書くことは苦手で、人から頼まれても渋々という状態です。
それなのに今、自発的にこの文章を書いている自分が不思議です。
弟子屈のゆったりとした時の流れの中で暮らしている。なんともいえない満たされた想いがそうさせるのでしょうか。

私は妻と二人で平成28年10月に弟子屈町、川湯温泉に移住してきました。
移住前は神戸で、妻と二人の息子、四人家族でのマンション暮らしでした。
職場の人間関係、友人にも恵まれ、平凡なサラリーマン生活をしながら、休日には山登りやスキー、テニス、キャンプや釣りなど、若い頃は時間を見つけては、アウトドアにとびだしていました。

しかし都会で共働きをし、子どもが生まれ、特に妻はフルタイムで働くキャリアウーマン。私達夫婦も、子ども達にとっても時間の余裕は無くなっていきました。
そんな私達にとって毎年の楽しみは、夏に長期休暇を取って北海道でキャンプをすること。そして北海道を満喫する拠点は、私達には道東でした。
山に登ったり、釣りをしたり。北海道で流れる時間は、本当に私達にとってしあわせを実感でき、大切な思い出、家族の絆になっています。

私にとっての弟子屈は、今を去ること38年前、高校3年生のとき、屈斜路湖に立ち寄ったのが始まりです。そのとき、若くて未熟な私に、親切にして下さった地元の方々の御恩は忘れることはありません。家族ができてからは毎年、子ども達と砂湯で遊んだり、藻琴山に登ったり、あと近隣の観光地の通過地点になるので必ず訪れる場所です。

ある年のキャンプ場でのこと。
ふと妻が、「北海道にいるときあなたはずっと笑ってるね。」と、私に言ったのです。
妻にとっては、なにげない一言だったのですが、その言葉は私の中でずっと心に残りました。

「いつかここで暮らしたい。」

子ども達もそれぞれ自分の道を歩き出し、そして、さいわいというのはおかしいのですが、親の介護の必要もなく、自分たちで道を選べることに気付いたのです。

「なぜ今、60歳の定年退職後でいいんじゃないの。」
親戚、友人達からたくさん質問されました。

私達はなんとかの楽園に憧れてとか、都会の窮屈な暮らしに疲れて。そのような理由で弟子屈にきたのではありません。

この大好きな弟子屈で仕事をし、生計をたて、町民から受け入れていただき、町民になる。
そしていつかこの地で人が集い、ほっ、とできる空間作りができればいいな。

私達の夢みる日々は続きます。

この記事に関するお問い合わせ先

まちづくり政策課 政策調整係

〒088-3292
北海道川上郡弟子屈町中央2丁目3番1号
電話番号:015-482-2913 ファクス:015-482-2696
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更新日:2021年07月14日