旧南弟子屈駅の歴史

旧南弟子屈駅舎の現況

令和2年(2020)3月13日を最後に、JR釧網線の南弟子屈駅は廃止されました。

南弟子屈駅の駅舎は廃車となった車掌車を再利用したものであり、昭和61年(1986)に木造駅舎の代わりとなったものでした。

この駅舎は、後にJR北海道から町へと譲渡され、摩周観光文化センターの敷地内に移設されました。現在はセンター北にあるシルバースポーツハウスの横に位置しています。

旧南弟子屈駅舎 正面

旧南弟子屈駅舎 斜俯瞰

旧駅舎内展示

旧南弟子屈駅舎所在地

南弟子屈駅 略史

釧路地方と網走地方を結ぶ鉄道路線は、当初厚岸から網走間を結ぶ厚網線を敷設する予定でした。しかし大正8年(1919)7月、帝国議会で釧路-網走間の釧網線に変更されます。

大正11年(1922)、いよいよ網走と釧路からそれぞれ工事が着工されました。釧路から標茶へと延びた線路は昭和4年(1929)に弟子屈まで開通、昭和5年(1930)には川湯まで延びます。そして昭和6年9月20日、網走から札鶴まで延びてきた線路と釧路から川湯まで延びてきた線路がついに結ばれ、釧網線が全通したのです。

こうした流れの中、南弟子屈駅は標茶から弟子屈まで延伸した昭和4年8月15日に開業しました。

戦後の昭和35年(1960)10月、南弟子屈駅は貨物扱いが廃止され旅客駅となりました。しかし利用客減は著しく、昭和43年(1968)には国鉄の合理化により民間への委託駅となり、日本交通観光社が受託しました。

昭和59年(1984)には無人駅化、昭和61年(1986)には駅舎が木造駅舎から廃車の車掌車を利用した駅舎になりました。

昭和62年(1987)の国鉄分割民営化後も、客足が戻ることはなく、令和2年(2020)3月13日を最終営業日として廃止となりました。

南弟子屈駅・駅長

国鉄時代の南弟子屈駅の歴代駅長は以下の通りです。

駅長名 就任年月
高館恒三郎 昭和4年(1929)8月
岩佐富一 昭和6年(1931)3月
川西正太郎 昭和7年(1932)10月
徳重謙一 昭和10年(1935)7月
大林民助 昭和12年(1937)10月
佐々木兵蔵 昭和15年(1940)4月
岩崎岩蔵 昭和16年(1941)5月
増子与太郎 昭和18年(1943)7月
桜井宏 昭和20年(1945)10月
竹川正義 昭和25年(1950)10月
仲村嘉吉 昭和27(1952)3月
南部淳八郎 昭和29年(1954)3月
坂部一夫 昭和33年(1958)3月
頓所一 昭和37年(1962)2月
岩間武人 昭和39年(1964)2月
西村唯市 昭和41年(1966)5月

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昭和43年(1968) 民間委託
昭和59年(1984) 無人駅化

旧木造駅舎(昭和年代)

南弟子屈駅 木造駅舎(昭和年代)

釧網線開通直後の南弟子屈駅 (更科源藏の代用教員時代の詩)

大正7年(1918)、南弟子屈では教授場開設の機運が高まり、翌年に弟子屈尋常小学校付属熊牛原野特別教授所として開校します。

昭和4年(1929)、昇格により昭栄尋常小学校となり、川原代用教員は正規の資格を取るため旭川の師範学校へ赴きます。教員がいなくなったため、更科源藏が代用教員を務めることになりました。

昭和4年(1929)は釧路から弟子屈まで釧網線が開通した年であり、南弟子屈駅もできました。この時、更科源藏は汽車が初めて通った日に子供たちと提灯行列をしてお祝いをしています。

また更科源藏は汽車が学校を通った時のことを詩の題材にしています。


「代用教員の歌(2)」(詩集『種芋』)

「ワーツ 汽車だ 汽車だ」
「コラツ! 何を騒ぐ 本を見ろ 本を」
私は矢張り先生になってしまった

次の時間の綴方に子供たちは皆書いた
「私ははじめて汽車を見ました」と

子供が皆帰ってしまったあとで
私はいつの間にか窓のところへ立って
「ホラ、黒い煙をはいていらァ」と子供が
騒いだ汽車を見ていた

 

戦前~戦後の南弟子屈駅 (古老の回想)

平成22年(2010)発行の『郷土学習シリーズ5 南弟子屈』には、南弟子屈に古くから住む堀内豊治氏へのインタビューがまとめられています。

その中には「南弟子屈駅の駅前の様子はどうでしたか」という質問があり、堀内氏は以下のように答えています。

戦後、入植者も増えてきて、床屋さんやパチンコ屋さんもありました。薪や丸太の貯木場、炭や農産物の集積場もありました。農作物を出荷するときに使っていた倉庫で、青年たちが発動機で電気を起こして映画会をするなど駅前も賑やかでした。

それと私が子どものころですが、タコの人たちが赤いフンドシ姿で釧路川から砂利をモッコで運んで積んでありました。その人たちはお腹がすくのでしょう。夜になると食べ物をもらいに家にくることもありました。母がジャガイモなどを分けてあげるのですが、まだ幼い私は昼間の異様な姿がよみがえり、おっかない思いをしました。


『郷土学習シリーズ5 南弟子屈』弟子屈町教育委員会、2010、7頁

 

映画「君の名は・第二部」(1953)と南弟子屈駅

旧南弟子屈駅木族駅舎は映画「君の名は」(第二部)のロケ地

皆様は『君の名は』と聞くとアニメ映画を想起するのではないでしょうか。しかし1952-54年にNHKで同タイトルのラジオドラマが放送されます。この作品は絶大な人気を得て小説・映画・テレビドラマ・舞台等メディアミックス展開がなされます。南弟子屈駅は映画の第二部に登場します。

『君の名は』では主人公の春樹とヒロインの真知子が東京大空襲を生き延び深い関係となります。二人は再会の約束をして別れるのですが、春樹が「君の名は?」と訊いても真知子は答えずに去るのでした。その後、真知子は叔父により浜口という人物と強制的に結婚させられてしまいます。

『君の名は』でヒロイン真知子の旦那浜口は主人公の春樹の上司となり、春樹を失職させてしまいます。春樹は北海道に落ち延び、そこでアイヌの娘に熱愛されることになります。紆余曲折を経て真知子も渡道し、ついに二人は再会するのですが、春樹に失恋した娘は摩周湖に身投げします。

一方、春樹と真知子も別離を余儀なくされます。浜口が同居請求手続きを取ったため、裁判所の出頭命令が捕まえに来たのです。雪が降る中、寂寥感溢れる美幌駅で真知子は春樹と別れ、汽車は動き出します。この別離の舞台となった美幌駅のロケ地こそが、実は「南弟子屈駅」だったのです。

『弟子屈町100年記念「風・人・大地」』弟子屈町、2004、96頁

旧国鉄職員の回想

旧国鉄職員の澤田三郎氏はその著書『私の国鉄五十年』(1975)において、1972年5月に回想した南弟子屈駅の記録を掲載しています。

〔……〕この駅は、昭和43年釧網線管理所当時に委託駅に姿を変えたもので、その歴史は新しくそれだけにこの駅には委託駅に共通なうらさびれた暗さはみじんもない。いや、歴史が新しいからだけではない。菅原駅長が観光線区に恥じないよう、駅舎ホーム等の清掃美化に、常に骨身を惜まずに努力していることが、その原動をなしてるものである。〔……〕

かつては、駅周辺すべてが木炭の山をなし、活気を呈した駅であったが、今では、駅に近い丘に設けられてある2つの炭がまから細ぼそと2筋の煙をなびかせ昔日の面影をなごり惜しく語り続けている。

戦後ラジオドラマが普及されたころラジオ放送で全国のファンを熱狂させた「君の名は」のドラマは北海道でもロケされ、真知子と春樹の両人が雪の降る美幌駅のホームで別れるシーンは、運命のいたずらと世の無情さに、人々の涙をさそったが、映画の美幌駅こそ実はこの「南弟子屈駅」なのである。

駅名は「美幌駅」に書き換えられ、ホームの雪はカーバイトの白い粉でおおい、チラつく雪は、サオの先にザルをつるして紙ふぶきをふるい落し、エキストラは駅・保線の職員や家族が動員された。

機関車は、上りこう配を走るために黒煙をはいて美幌駅のホームについたが、実はこの区間は水平のため、機関車にブレーキをかけて黒煙を出し、このために磯分内、南弟子屈駅間で4分の遅れを出し、ホームではロケのために10分以上停車した。使用した機関車は、58656号(斜里機関支区所属)、機関士は千田益夫(現花咲委託駅長)であった。

澤田三郎『私の国鉄五十年』澤田三郎、1975、146-148頁

澤田三郎『私の国鉄五十年』(澤田三郎、1975)

平成時代の南弟子屈駅

平成22年(2010)発行の『郷土学習シリーズ5 南弟子屈』では、現在は廃校となった昭栄小学校の児童たちが、南弟子屈駅の見学を行う様子が収録されています。てしかが郷土研究会の故細川会長が、昭和35年(1960)頃の最盛期の南弟子屈駅の様子を解説している所にちょうどノロッコ号がやってくるシーンが写真に写っています。

『郷土学習シリーズ5 南弟子屈』弟子屈町教育委員会、2010、9頁

『郷土学習シリーズ5 南弟子屈』弟子屈町教育委員会、2010、11頁

参考文献

■町史

  • 更科源蔵編『弟子屈町史』弟子屈町、1949
  • 弟子屈町史編さん委員会編『弟子屈町史』弟子屈町、1981
  • 弟子屈町史編さん委員会編『弟子屈町史』弟子屈町、2005

■100年記念誌

  • 弟子屈町編『弟子屈町100年記念「風・人・大地」弟子屈町、2004

■郷土学習シリーズ

  • 『郷土学習シリーズ5 南弟子屈』弟子屈町教育委員会、2010

■旧国鉄職員の回想録

  • 澤田三郎『私の国鉄五十年』澤田三郎、1975

■自治会誌

  • 『南弟子屈開基100周年記念誌「熊牛」』

 

 

この記事に関するお問い合わせ先

ふるさと歴史館(教育委員会 社会教育課)
〒088-3201
北海道川上郡弟子屈町摩周3丁目3番1号
摩周観光文化センター内
電話番号:015-482-2368(ファックス共通)
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更新日:2023年12月24日