釧路川流域チャシ跡群

弟子屈町の国史跡

1.弟子屈町にある国史跡とは!?

令和5年(2023)4月、弟子屈町と北海道大学アイヌ先住民研究センターとの間に「アイヌ施策等推進連携協定」が締結されました。この連携協定の内容の一つに、チャシの活用が挙げられています。本町には国史跡「釧路川流域チャシ跡群」を構成する4つのチャシ跡があります。この記事では本町のチャシをご紹介いたします。
 

2.チャシとは何か?

チャシとは一体どのようなものなのでしょうか。チャシの語義は柵、囲いを意味します。城や砦、祭礼や話し合い等,様々な用途があったとされるアイヌが築造した施設です。『弟子屈町の教育』には本町50の埋蔵文化財が記載されていますが、そのうち8をチャシ跡が占めています。

3.釧路川流域チャシ跡群

釧路管内で国史跡であったチャシは釧路市の「モシリヤ砦跡」と「鶴ヶ岱チャランケ砦跡」のみでした。しかし2015年,「釧路川流域チャシ跡群」として再編されます。この時本町ではウランコウシチャシ跡,クッチャロシペ第1および第2チャシ跡,プイラクニチャシ跡の4つが国史跡となりました。

釧路市所在:釧路川流域チャシ跡群を構成するハルトルチャランケチャシ

釧路市所在:旧鶴ヶ岱チャランケ砦跡(現ハルトルチャランケチャシ跡)

 

 

ウランコウシチャシ跡

ウランコウシチャシ跡は屈斜路湖の南西岸に位置します。標高128mの湖岸段丘にあります。台地の先端部に一条の弧状の壕がめぐらされています。語源はランコ-ウシ。ランコは「カツラの木」,ウシは「場所」で「カツラの木が群生する所」という意味があると考えられています。

 

ウランコウシチャシ跡

 

 

クッシャロシペ第一・第二チャシ跡

クッシャロシペ第一・第二チャシ跡は釧路川の最上流右岸に位置します。語源はクッチャロ-ウシ-ぺ。クッチャロは「喉元/喉口」、ウシは「場所」、ぺは「見たり触れたりして確かめることのできる物」。すなわち「湖から水の流れ出る所にいつもあるもの」として丸山を指すと考えられます。

丸山に関し『日本城郭大系』には2つの文献の紹介があります。松浦武四郎『久摺日誌』には丸山付近と屈斜路湖落口からなるコタンが記されています。更科源藏編『北海道の伝説集アイヌ篇』には老婆が真夏に大雪を降らせ鹿を動けなくさせて飢饉を助けた話が採録されています。

 

クッシャロシペ第一・第二チャシ跡

 

 

プイラクニチャシ跡

プイラクニチャシ跡は釧路川右岸の標高84mの河岸段丘上に位置します。付近は熊牛原野と呼ばれており、旧南弟子屈駅にほど近い所にあります。語源であるプイラは「渦巻の群生する水面/所」であろうかと考えられています。プイラクニチャシ周辺にはいくつかのチャシが所在しています。

 

プイラクニチャシ跡

 

 

釧路川流域チャシ跡群位置図

参考文献

<書籍>
平井聖他編『日本城郭大系』1巻、新人物往来社、1980
日本歴史学会編『日本歴史』459号、吉川弘文館、1986
弟子屈町まちづくり政策課編『広報てしかが』678号、弟子屈町、2011
弟子屈町まちづくり政策課編『広報てしかが』755号、弟子屈町、2017
弟子屈町教育委員会『令和5年度 弟子屈町の教育』弟子屈町教育委員会、2023

<web>
「史跡釧路川流域チャシ跡群位置図」https://www.town.teshikaga.hokkaido.jp/material/files/group/19/sisekiitizu.pdf、2023年9月7日10時50分閲覧
 

この記事に関するお問い合わせ先
弟子屈町教育委員会 社会教育課

〒088-3211
北海道川上郡弟子屈町中央2丁目3番2号
電話番号:015-482-2948 ファクス:015-482-2343

更新日:2023年09月08日